坂東武者とは? 歴史話
現在、NHK大河ドラマ鎌倉殿が放映されていますよね。
中で坂東武者という言葉がよく使われています。
坂東は関八州、現在の一都六県の地域を指し、この地は大和朝廷による支配の東の果てであったので坂東は東国の意味でも用いられます。坂東武者は武骨で命より名を惜しんだ武士といわれます。
天長3年(826)以降 50代桓武天皇の孫 高望王を臣籍降下の形で上総介平朝臣高望に任じました。これは、高望王の持つ武的性格が蝦夷(えぞえみし)との戦いが続く東国の鎮圧の形で登用されました。その為、平時には営農、非常時には兵が育ち坂東武者と言われる武士団へと成長しました。
平将門は高望王の孫で 自分の武士団を組織する一方、農民を守り原野を開墾し鉄製の農具を普及させ、又馬上から使いやすいように刀の刀身を反らせて日本刀の原型を作ったとされています。
一説には、蔵の裏を流れる鬼怒川は、昔鉄が取れたので、武器を造る為、将門の地となったといわれます。
「将門記」によれば、天慶3年(940)一族の死闘の中に、酒を飲みすぎて敵に打たれ不覚を取った者が7人いたとあります。
常総地方は古くから、常世の国といわれて稲田が多く、その米から地酒が造られていたようです。